試作車両が1941年に完成し、続いて量産型モデルが開発された。7月にはイギリス輸出用に改造が施された型の生産が始まっている。両モデル共に、設計当初よりも装甲が分厚くされていた。イギリス向けモデルの生産はボールドウィン社、プレスド・スティール・カー・カンパニー、プルマン・スタンダード・カー・カンパニーが請け負ったが、損耗が増加し生産が追い付かなくなるとイギリス軍はアメリカ軍向け仕様の車両も購入するようになった。1941年4月の生産開始から1942年に生産が終了するまで合計約7000両が生産されたが、そのうちの3000両がイギリスが発注したものだった。M3中戦車はイギリス軍の北アフリカ戦線におけるドイツ・イタリア軍との戦闘で中心的な役割を果たすことになった。
アメリカ軍はM3中戦車とM3軽戦車の両方を「M3」と呼称していたため、イギリス軍は混乱を避けるためにアメリカ向けモデルのものをアメリカ連合国の司令官の名をとって「ジェネラル・リー」、イギリス向けモデルのものをアメリカ合衆国(北軍)の将軍の名をとって「ジェネラル・グラント」と呼ぶようになった。但しこれらの呼び名はアメリカ軍では用いられていない。