89式中戦車以降の国産戦車が、車体前方に起動輪があるのと異なり、89式中戦車は車体後方に起動輪がある後輪駆動方式となっている。動力伝達機構がコの字型になっており多少複雑な設計であり、履帯が外れるのを防止するために誘導輪にも歯がつけられていた。転輪は、小型のものが片側に9個つけられており、上部の支持輪に関しては前期型は片側に5個、後期型は片側に4個つけられていた。小転輪を複数つける方法は、地形への追従性は高かった一方で高速での走行には不向きであり、転輪数が多いため整備面でも運用上の実用性を下げた。
履帯に関しては、初期は履板のピッチが長い、ニッケルを素材として含む履帯を装着していたが、それ以降は1930年に輸入したヴィッカース6t戦車を参考に、イギリスのハットフィールド鋼を模倣して1932年に小松製作所が開発した、ハイマンガン鋼を採用した後期型の履帯を装着するようになった。その履帯は、磨耗への耐久性がそれまでの履帯に比べて格段に高く、それ以降国産戦車に標準的に搭載される履帯となった。