89式中戦車は、1931年の満州事変が初陣となった。臨時派遣第一戦車隊に、ルノーFT17軽戦車やルノーNC27の代わりとして配備されることになった。
1932年に勃発した、第一次上海事変では、独立戦車第二中隊に5両が配備された。また、その際、同じ中隊にルノー乙型戦車が10両配備され、ルノー乙型戦車と89式中戦車のパフォーマンスの比較が行われたが、89式中戦車のほうが優れた戦車であることが判明した。この戦いでは、89式中戦車の活躍から戦車部隊が注目され「鉄牛部隊」と呼称されるようになった。しかし、中国国民革命軍による強い反撃と、網目のようなクリークに妨げられ、必ずしも楽な戦闘にはならなかった。
1939年に初めて本格的な対戦車戦闘に参戦した。そのノモンハン事件では、95式系戦車と少数の97式中戦車とともに中戦車の主力として投入されたものの、日本軍の戦車の攻撃面・防御面双方における機能の低さが露呈してしまった。そのため、その後97式中戦車は攻撃・防御双方における能力の向上が行われた。