Ⅲ号突撃砲は安価かつ有力な対戦車戦力として、枢軸陣営を代表する機甲戦力の一角として、開発国であるドイツの他にも多くの国家で活躍している。
ドイツの同盟国であったフィンランドには1943年に30両、1944年に29両が供与された。フィンランド軍はⅢ号突撃砲を「シュトゥルミ」と呼んで重宝し、機銃をソ連からの鹵獲品であるデグチャレフ機銃に換装したり側面の装甲を撤去するなど独自の改造を施して運用している。フィンランド軍では1960年代まで現役戦車として活躍した。
ブルガリアにも55両が輸出された。ブルガリア軍ではマイバッハT-3と呼称され対ソ戦線での活躍が期待された。大戦末期、ブルガリアがソ連軍の侵攻を受け連合国側に寝返ると、これらの戦力は母国ドイツに攻撃を加えることになった。
ルーマニアには100両以上のⅢ号突撃砲が支給され、モルドヴァ方面でのソ連軍との戦闘にりようされた。こちらもブルガリアと同様、ソ連に降伏した後にドイツ軍との戦いに投入されている。これらの多くは戦闘で破壊されるかソ連軍に接収されて失われたが、1945年の時点で13両が残存していた。大戦終了後にはソ連軍から鹵獲品を供与されている。