ドイツ中部の突撃砲生産ラインがストップするという事態を受けてドイツ陸軍司令部のハインツ・グデーリアンが生産代行を打診したのはチェコ・プラハに工場を構えるBMM社であった。しかし同社は機材・スペースの関係上サイズを小さくしなければ製造は難しいとの見解を示した。対策案が討議された結果、II号戦車L型ルクスと同時期に設計され採用されなかった38(t)n.A.戦車の車体を流用することでこの問題を解決することが1943年12月までに決定される。それから4か月という速さで設計が完了し、司令部の要求通り良好なパフォーマンスを実現、更にはその時点で大量の受注を受けていたこともありすぐに製造が開始された。 前述の経緯から38(t)戦車と車体構造が類似している一方で、脚部やサスペンションに細かい変更が施されている他、新エンジンとしてプラガ社製の160PSプラガACが搭載されている。。全体としては搭載火力が上昇し装甲も強化されている。結果として、従来機のIII号突撃砲と比較して重量が5t増えることになった。 スイスでG-13として採用された際には、チェコで主砲の生産が終了していたことからIII号突撃砲の主砲であったStuK40で代用された。現存するヘッツァーや後の時代の作品にヘッツァーとして登場する戦車はこのG-13の流用であることが多い。
戦車/ヘッツァー 開発
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