1940年代初頭、ドイツ軍は回転式の砲塔を装備した自走砲であるマルダーが敵戦車に対し高い攻撃力を発揮していた。そこで同様の技術を用いた歩兵支援兵器として、突撃砲が開発されていた。Ⅲ号戦車の車体を流用したことからこの突撃砲はⅢ号突撃砲と呼称される。
対歩兵を想定して設計されたⅢ号突撃砲であったが、戦車に対しても十分通用する力を備えていることが実践を通して判明した。突撃砲に搭載された75mm砲は敵戦車の装甲を貫通するだけの火力を備えており、ドイツ軍は中戦車のパフォーマンスを最大限引き継ぐことに成功したこの兵器を量産することを決定した。同時にⅣ号戦車の車体を流用したⅣ号突撃砲の生産も開始される。これらの突撃砲は前線で十分な活躍を果たし、連合軍の戦車を20000台以上破壊することに成功したと言われている。
しかし、1943年12月に連合国がベルリンを空爆し突撃砲を生産していたアルケット社の工場が操業停止に追い込まれたことにより事態は一変する。突撃砲はいまやドイツ軍にとって必要不可欠な兵器となっていたため、ドイツ陸軍は生産を引き継ぐことができる兵器工場を求めることとなった。